昭和49年04月15日 前夜祭
春の御大祭を明日に控えまして、この前夜祭は、この御大祭のいうなら最高潮というか、盛り上がりというようなものが、感じられる程しのものがこの前夜祭に感じられる程しのものを、頂くのが前夜祭の私は意義だと思うんです。まだまだそこに達しない事は、私の不徳の致すところでございますけれども、本当に何と言うでしょうか、もう「さぁ明日は御大祭」というその用意万端整って、その御用頂く人たち又は今晩の前夜祭に向かってお参りをする人たちで、もう何かここに夜の市でも立つようなね。
そのう賑やかさが大体前夜祭にはあるのが本当だと思います。まぁ合楽の場合なんかは、まぁ教会になりまして漸くまぁ五年か六年の教会でございますから、そういう前夜祭がどういう様なものであるか、拝んだ事もないという人が先ず殆どではないかと思うんです。けれどもいわば明日の御大祭を御大祭をと願う人達のその願いというか、そういう意欲息吹の様なものが今晩感じられる様な働きをね、やはり合楽に御神縁を頂く人たちの全てが、それを感じれる様になった時が、いよいよ本当の事であろうと思います。
いろいろな悪条件ほぼ人間心でいえば、悪条件の中に明日の御大祭が奉仕される訳でございます。第一お天候も何とはなしにどんよりと曇った、今にも降り出しはしないかというような感じの中に、しかもまだストが明日からあるとかというお話。私は昨日御用が出来て、ちょっと見に行っておりましたら、いつもあのう表の高い塔に御大祭の掛幕が掛けられるんですけども、今年は掛かっていない。うなら周囲の者はあれで合楽の教会の御大祭は、大祭だけなっとひとつ参ってみよかと。
いうなら近所辺りの方達でも、いうたり思うたりするような感じが、あの掛幕で感じられておったんですけれども、今年は掛幕がない。今朝から「掛幕がないがどうしたか」といったら、「もうあれが破れておりますから」「早ようあんた幹部の方達に企画なんかがある時に、早く取り上げてもらって早く作っておかなければ」いうならばさぁ何時からありますという看板も掛けていなかったという。しかも今度は大祭のご案内なんかが、皆さんにもう出しておるそうですけれども、どっこもまだ着いていないという。
ですから私は掛幕には頼らない。または案内にも頼らない。または様々な人為的な演出などに頼ろうとは思わないのですけれども、まぁいよいよ言わば明日はそういう悪条件の中に、どれ程しの日頃の信心を現わす事が出来るか。または自分の信心の一つの試金石としての御大祭を、明日の御大祭に感じる訳でございますけれども、そんならそれだけいえれる、大きな事がいえれるだけの信心が出来ておったかというと、いやいやそうではない、掛幕が掛け忘れてある。いやもう掛けられなくなっておる事もね。
いうならば四五日も前から案内出しとけば良いものを、それを不行届きであった事もね。お天候の事も全ての事においてです、われ不徳の為のかかる始末であると思う時に、お詫びをしなければおられないが、お詫びだけでは済まされない。やっぱり願わなければおられない。前夜祭とはそういう意味でです、もう最後のギリギリまで願いに願わせて頂くお祭だというふうに思うのです。そして詫びる。
そして明日は信心も出来ませんのに、この様なおかげを頂いてという、晴の御大祭を拝ませて頂けれるお繰り合わせを頂きたいと思います。そういう例えば悪条件の中に、御大祭が奉仕される。皆さんもやはりそこんところを願っておいででなければ、まならないと思うのです。私共はこの春の御本部大祭を、十日の御大祭を皆さんと一緒におかげを頂いた。ご承知のように国鉄ストの為にもうご参拝が、もうそれこそあの広い斎場に真ん中に、本当に気の毒なぐらいに少なかった。
けれどもここんところがです、日頃私共が信心を頂いておる信心というものが、神様へ向けられるその信心がです。どれ程しの憧念心と言うか、憧れの念といったようなものを燃やしておるかということをです、現わす私は絶好のチャンスだと思わして頂くね。例えばもしあれが十日の御大祭が、全部のご参拝の教会の方達が、合楽のような言うなら心意気を以てお参りしておったら、いつもの御大祭よりももっともっと破れるような御大祭であっただろうと思います。
貨車一台八十名を申込んであったのが、いよいよ汽車でお参りできない。銘々自動車でお参りをするということになったら、われもわれもと言う人たちが出て参りまして、ちょうど子供を含めると百一名の者がお参りをしておる。八十名の者が百名からの者にお参りが出来るような、そういう例えば止むに止まれんもの、そこには一つも無理がない。日頃頂いておる信心をただ現わしただけである。だから行きも戻りも大変な好都合のお繰り合わせの中にご参拝が出来た。
ですからそういう私の唱えるところ教えるところ、そういう信心が明日はどれ程、合楽の皆さんに染み通っておるかということをです、判らして頂く意味においても、私明日は有難いお祭だ。とうとう御大祭のご案内も受けなかったというような人ばっかりであろうとこう思うのですけれども、それでもね、ご案内があったからお参りをするというのではなくて、もうそれこそ指折り数えて春の御大祭四月十六日を待ち望んで、さぁ今日は国鉄、西鉄のストであるから、お参りも少ないかもしれん。
だから今日は隣近所の方達をいうなら誘い合わせて、「私の所の車に乗れるだけ乗って下さい」というて、誘い合わせてお参りするような方達が出来てくるとするとです、却って有り難い、いうなら割れるようなお祭にもならんとも限らんのですね。問題はいよいよ日頃の信心を明日いかに現わすかということであります。それでもギリギリまでやはり願わなければおられない。またはお詫びしなければ勿論おられない。願いに願い貫かせて頂いて、明日のお祭の蓋を開けさして頂くということになるのです。
本当言うたら、私はこの前夜祭にはね、私はもうこの電気があっちこっち至る所についておるとが、もうとにかく自分の身を削られるように思いますから、私は片っ端から消してまいりますが、今日だけは違う。今日だけは合楽の全館に、外も内ももう煌々として灯りがついておらなければいけないと思うんです。そういう賑やかさが、私はこの前夜祭に見られるような、おかげを頂きたいと思いますですね。
どうぞ。